おうちさんとわたし。

無職おひとりさま50代女性の家づくりと日常

Nおじさんの国際ロマンス〜永遠編

こんにちは、日凪子です。
Nおじさんの家族だった先生のお別れ会。続きです。

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ほとんどの来賓のかたたちが英語で追悼を述べる中、Nおじさんは日本語で先生へのお別れの言葉を読み上げました。
Nおじさんの声はマイクを通しても、とても小さく抑揚に乏しく、ぽそぽそとつぶやくようで、どう聞いてもスピーチ向きではありません。
おまけに内容を書いた紙から一度も目を離さず、終始うつむいてぼそぼそひそひそ語るので、ますます下手くそに聞こえます。

それでもNおじさんのひとことひとことが、胸にしみてくるのです。
Nおじさんが語る言葉を、隣で通訳さんが英語にします。
Nおじさんの言葉と通訳さんが語る異国の言葉が、互いに寄り添うように会場に流れてゆくのに息をひそめ耳をすましていました。

先生は自宅での最後の夜、Nおじさんの名前を呼んだそうです。

「……N」

ベッドに横たわったまま弱々しく呼びかける先生の手をそっと握って、Nおじさんは応えました。

「N イズ ヒア (Nはここにいるよ)」

そのまま先生は息を引きとったといいます。
安らかな死であったのでしょう。

会場のスクリーンに、先生の写真が次々映し出されます。
若いころ先生は飛行機乗りで、東京空襲にも参戦していたそうです。
Nおじさんはまだ生まれていません。

研究者として地位も名声も得て人生が一区切りしたあと、もともとは中国へ行ってみたかったそうです。けれど当時中国は天安門事件の真っただ中で入国も滞在も難しく、日本へやってきました。
かつて先生が空から爆弾を落として焼け野原にした国を訪れて、そこで出会った自分の子供ほども歳の差のある相手と心を重ねて、養子縁組をして家族になり、いくつもの季節をともに過ごし、その地で命を終えるだなんて、あまりにも絵空事です。

でも、本当にあったことで。

スクリーンに映る空軍時代の先生はとてもハンサムで、モノクロの映像がしだいにカラーに変わってゆき、Nおじさんと日本の名所を旅する写真や、桜の下でカメラに向かって微笑む写真、先生のアメリカの家でおじさんと一緒にくつろぐ写真が、ふたりのなごやかで満ち足りた表情と一緒にスクリーンいっぱいに広がりました。

今思い出しても泣いてしまいます。

こんなNおじさんと、

こんな先生は、本当に良いパートナーで家族だったと思います。
そしてNおじさんが尽力した先生のお別れ会も、忘れられない素晴らしい会でした。
会場の空気は明るく和やかで澄んでいて、みんな控えめだけど綺麗な格好をしていて、コースで運ばれてくるお料理も最高に美味しくて。

こういうお葬式っていいな、と心から思いました。

招待状に香典はご遠慮くださいとあって、会費もなく、費用はすべて喪主のNおじさん持ちでした。
きっとみんなの心に、先生の晴れやかな功績や、幸せな生涯や、生き生きした姿がずっと残り続けるような、最高のお別れの場を用意したかったのでしょう。