おうちさんとわたし。

無職おひとりさま50代女性の家づくりと日常

Nおじさんの国際ロマンス〜お別れ編

こんにちは、日凪子です。

華々しい経歴を持つアメリカ人の先生は、今でいうロマンス詐欺なのでは?
Nおじさんはお金をとられて酷い目にあうのでは?

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そんな心配をした私ですが、Nおじさんと先生はその後も交流を深めてゆきました。
Nおじさんが40歳で1億円を貯めてすっぱり退職し、投資生活に入ってからは、先生の故郷のアメリカで一緒に生活したり、また日本に戻ってきて都内にマンションを買って同居をはじめたり。

母から、Nおじさんが先生と養子縁組をして戸籍上も家族になったと聞いたのも、このころだったでしょうか。
お祝いの席などはありませんでしたが、仲良く過ごしているようでした。

私が2度目に先生に会ったのは、実はNおじさんに投資の指南をお願いしたときです。Nおじさんが10年分のデータをつめこんだファイルをテーブルにばさりと広げて「メキシコでね」と語り出したあの日、先生も同席していたのです。
ややこしいので書きませんでしたが、中華の丸いテーブルで先生はNおじさんの隣で、おっとりと料理を召し上がられていました。

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Nおじさんと親子ほど歳の離れた先生は、このときはもうだいぶご高齢で、動作も緩慢で表情もほんわりしており、お話されることもありませんでした。
新潟でお会いしたときにはお元気だった先生が、はっきりとお年を召されて様変わりしていたのは、胸が痛むことでした。
それでもスマートで品のある雰囲気はそのままです。
この日のコース料理3人分は、先生が払ってくれました。

「えっ、私が来てもらったんですから私が払います」

慌てて申し出ると、Nおじさんがすかさず言いました。

「いいから払わせてあげて。どうせ使い道のないお金なんだから」

それは家族に対する気安さを感じる口調でーーいいえ、Nおじさんと先生はとっくに家族でしたね。
Nおじさんのメガネの奥の眼差しがとても優しかったのも、強く印象に残っています。

私が先生に会ったのは、この2回きりです。

数年後、私は大病を患い長い休業に入りました。
そんななか、母経由で先生が亡くなられたと聞きました。
葬儀は少数の身内だけで簡単に行われたそうです。
それからまた少したって、私のもとにNおじさんから手紙が届きました。

「先生のお別れ会をします。日凪子ちゃんも出席してください」

そんな内容でした。

場所は上野の老舗レストランで、喪服ではなく平服でお越しくださいとあります。
そうはいってもカジュアルすぎるのもどうでしょう。
いとこと相談して、紺のワンピースでうかがいました。

こちらの身内で出席したのは、近場に住んでいる母の姉、Nおじさんと一番仲の良かった母の妹と、その子供たちで私のいとこである姉妹です。いとこたちはNおじさんが先生とアメリカで暮らしていたとき、2人の家にホームステイしていました。私よりも先生との交流が深いです。

文明開化を彩ったモダンなホールで、先生のお別れ会がはじまりました。
テーブルにお皿やカトラリーが綺麗に並べられ、席の配置や雰囲気など、まるでディナーショーか披露宴会場のようです。
出席者はほとんど海外のかたで、司会者も追悼の言葉を述べるかたたちもみんな英語で話します。その隣で通訳さんが日本語で同時に話してくれるのがありがたかったです。
先生の死がNYタイムズで報じられたと聞いたときは、驚きました。
先生の遺品や研究の成果を展示したコーナーを××に設置する準備を進めているという話も、現実離れしていて耳を疑うばかりです。

先生の華麗な経歴は詐欺ではなく全部本当で、私も、いとこも、おばさんたちも、目を丸くして小声でざわつきっぱなしでした。

先生は、そんなにすごい人だったのかと。