おうちさんとわたし。

無職おひとりさま50代女性の家づくりと日常

東京で追っかけをしていた母

こんにちは、日凪子です。

hinakonoouti.hatenablog.com

中学を卒業して上京、お金持ちのお屋敷で住み込みのお手伝いさんとして働いていた母ですが、さらに驚きの事実が判明しました。
なんと、東京でとある人気歌手の、追っかけをしていたというのです。

私がその話を聞いたのは無職になりたてのころ、40半ばです。母は70歳くらいですね。
母の妹のCおばさんが太極拳をやっていて、その発表会が代々木の体育館で開催され、会いに行ったのです。
都内在住のCおばさんの娘さんたちや、柏に住んでいる母の姉のKおばさんもやってきて、休憩時間にみんなで話していたとき、その話題になったのでした。

「I美ちゃん(母です)は、舟木一夫の追っかけをしてたのよね」
「そうそう、舟木一夫の家の前で出待ちをしていて、私も一度付き合ったことがあるわ」

舟木一夫といえば、御三家と呼ばれた昭和のトップスターではありませんか。
ヒット曲「高校三年生」を私も知っています。
母が舟木一夫の追っかけを?
さらに出待ち!?

いくら個人情報がゆるゆるで、著名人の住所が電話帳に堂々と記載されていた時代とはいえ、自宅前で出待ちはガチすぎです!

この話は親戚のあいだでは有名らしく、いとこたちも知っていました。
なのに娘の私が完全に初耳だったのは、母が舟木一夫について語るのを聞いたことが一度もなかったためです。ブロマイドやレコードも家で見かけたことがありません。

父はクラシックが好きで、たくさんレコードを持っていました。けれど母が所持するレコードは一枚もなかったと思います。父の車で流れる音楽もクラシックか子供向けのアニメソング集ばかりでした。
出待ちをするほどファンだったのに、その痕跡がまるでないというのが、なにかあったのだろうかとちょっとあれこれ考えてしまいます。

母に直接訊くのはためらわれて、父に訊いてみました。
「お母さんって、舟木一夫の追っかけをしてたの?」
「いや、橋幸夫じゃなかったか?」
同じく御三家の一人です。
「うん、確か橋幸夫だよ」

正解は舟木一夫だったのか? 橋幸夫だったのか?

気になって結局母に尋ねてみたら、恥ずかしそうに答えてくれました。

鳥羽一郎さんよ」

だそうです。
それ以上は私も深く追求せず、母も語らなかったのですが……。
母が15歳で田舎から上京して東京で就職したのは、もしかしたら憧れのスターに会いたかったからなのかなぁ……と思ったりしたのでした。