おうちさんとわたし。

無職おひとりさま50代女性の家づくりと日常

それは、きっと、母のせい。

こんにちは、日凪子です。

以前父に、私が旅行嫌いなことを、「日凪子が子供のころにお父さんたちが旅行の楽しさを教えてあげられなかったから」と、それは悲しそうに申し訳なさそうに謝られたことがあります。

hinakonoouti.hatenablog.com

↑こちらの記事ですね。
この件に関しては完全に父の誤解ですが、私がこんなに服に執着するようになったのは、母のせいだと思っています。
中学生になるまで、服を買ってもらうことがほぼありませんでした。
母が洋裁好きの手芸好きで、私が着る服は下着や靴下以外ほとんど母のお手製だったからです。

スカートにブラウスにワンピース、パジャマから浴衣に至るまで、全部! 母が手持ちの布で、さくさくと作ったものです。
編み物も大好きで、手編みの他に機械編みにもハマっていて、セーターやマフラーだけでなく、ニットのジャケットやコートなどの大作も製作し、家で履く厚手のルームシューズも大量にありました。
さらに七宝焼や籐編み、ペーパーフラワーまで習いはじめ、ブローチやペンダントを自作し、籐網みで買い物カゴやバスケットを作ったり、コサージュを手作りしたり。
とにかく、ありとあらゆるものを編み上げ、縫い上げ、私に着せたのでした。

母にとって服は買うものではなく、作るものだったのです。

そして非常〜に不幸なことに、私は母の作る服があまり好きではありませんでした。

というのも、母と趣味がまっっっったく、合わなかったからです。
母の趣味が特殊だったわけではなく、根本的に求めているものが違ったのだと思います。
例えば流行りの服などに母は関心を示しませんでした。赤毛のアンが袖がふくらんだ服に憧れたように、私もそのとき流行っている服を着たかったのです。
キツネの頭のついたふわふわのマフラーが爆発的に流行ったときも、私は母が編んだお花のついたマフラーを巻いていました。
「お母さんが作ったの? すごいね、上手だね、可愛いね!」
と褒めてもらっても、私にとってはキツネの頭がついたピンクのマフラーのほうがずっと素敵に見えていて、不満でした。

母は芸術家タイプではなく職人タイプで、綺麗な服や新しい服を作り上げることよりも、ただただ縫ったり切ったり編んだりすること自体が好きだったのでしょう。
なので布にあまりこだわらず、とにかく手もとにある布で作るというやりかたで、一枚の布でカーテン、ワンピース、枕カバー、手提げと、大量に作り上げてゆきます。

これも当時の私には嫌だったのです。
カーテンと同じ柄のワンピースだなんて、なんだかみみっちい。

唯一、母の作る服で好きだったのは、ピアノの発表会のときに作ってくれるドレスで、袖がふくらんだフリフリの服が本当に可愛くて大好きでした。
けど、それ以外は、他の子たちのようにお店で売っている服を着たくてたまらなかったのです。

中学生になって、ようやく自分の服を自分で買えるようになったときは嬉しかったです。
お買い物するのが楽しくて楽しくて。
それでも母と一緒に服を見にゆくと、必ず服をひっくり返して縫製をチェックしはじめ、
「縫い目がガタガタで、すぐにほどけちゃいそうよ。ボタンのつけかたも雑だし。これならお母さんのほうがず〜〜〜〜っと上手に作れるわ」
と大人げなく言ってくるので、店先で喧嘩になったこともあります。

母から服を買ってもらうことは、早々にあきらめていました。
父はお小遣いはくれるけれど、一緒に洋服屋さんめぐりはさすがに無理で、お母さんと一緒に洋服を見て買ってもらえる子が、すごくうらやましかったです。

長々と買いているうちに、日付をまたいでしまいました。

50歳を超えた今、当時のことを振り返ると、母が作ってくれた服は悪くなかったと思います。決して、みすぼらしい格好やおかしな格好をさせられていたわけではありません。
それでも自分で選んだ服を着たかったし、縫い目がガタガタで裾がすぐにほつれてもいいから、お店に飾られている流行りの服を買いたかったのです。

そんな気持ちを抱えたまま大人になって、買い物依存症なんじゃ? と不安になるくらい服を買いまくるようになったのは、やっぱり子供のころ好きな服が着られなかったせいだと思うのですが、どうでしょう?

ただ……私が買った縫製がガタガタの服の裾がほつれるたび、母が、
「ほら、やっぱり! もぉっ、こんなぺらぺらのお洋服を買うから」
と文句を言いつつ、ちくちくと綺麗に縫い上げてくれたのは、胸がぬくもるような思い出です。