おうちさんとわたし。

無職おひとりさま50代女性の家づくりと日常

15歳の母がメイドさんだったこと

こんにちは、日凪子です。

ギャンブラーな父の話をしたので、母の話もしてみたいと思います。
栃木の農家で生まれ育った母は、父より10歳年下です。
中学卒業と同時に上京し、お屋敷のメイドさんとして働きはじめました。

↑こんな格好ではなかったと思いますし、メイドさんというより、家政婦さんやお手伝いさんというほうが正しいでしょうか。
田舎出身の15歳の女の子が住み込みでお手伝いさんをするだなんて、今なら大問題ですが、1960年代は多分普通のことだったのでしょう。
お屋敷には某名門幼稚園に通うお嬢様とお坊ちゃまがいて、母は送り迎えをしていたそうです。

※当時母は免許を持っていません。ということは歩いて通っていたのでしょうか? お金持ちのお子さんの登下校は運転手つきのロールスロイスのイメージなのですが……。それとも母も車に同乗していたのでしょうか? そのあたりは詳しく聞いていないので謎です。とにかく、すっごくお金持ちのおうちだったそうです。

なぜ母は高校へ行かず、いきなり東京でメイドさんになったのか。
このへんも謎だったりします。
母に聞いたことがありますが、どこか憂いのにじむ表情で、
「お母さんのうちは貧乏だったから。早く働きたかったの」
と答えていました。

けど、この話を母の姉と妹、つまり私のおばさんたちにしたところ、全否定されました。
そこまで貧乏ではなかったというのです。
母も決して成績が悪くなかったので周りも高校に進学するものと思っていたのが、東京で就職を決めて驚いたと。

私も貧乏説は怪しいと思っていました。
母は5人きょうだいですが、他の4人は高校を出ているし、絵が好きな妹のCおばさんは高校卒業後地元で働いて貯めたお金で東京の美大へ進学しています。末っ子のNおじさんにいたっては、やんごとなきかたたちが通う目白の大学出身です。
母一人が高校に行けないほど家が貧乏だったとは、とても思えません。
母の生家は田舎なこともあり庭でトラックを運転できるほどだだっ広く、池で鯉まで飼っているので、余計にそう感じます。

結局このあたりのことは、おばさんたちにも謎なのでした。

他にも謎なのは、父と母の馴れ初めです。
東京でふたりが知り合ったとき、母はメイドさん、父は大学生でした。
10歳も違うのにまだ大学生? と疑問に思われるかもしれませんが、それは父が学校をいくつも行ってたり、何年も留年して学生生活をエンジョイしまくっていたせいです。
父の家も山奥の農家ですが、こちらは経済的にそこそこ余裕があったと思われます。

Cおばさんによると、高校生になったCおばさんが夏休みに東京へ遊びに行ったとき、英文科の父に英語の宿題をやってもらったそうです。そのときはもう、ふたりは一緒に住んでいたそうです。

「I美ちゃん(母です)と、日凪子ちゃんのお父さんって、どうやって知り合ったんだろうね? お父さんは大学生だし、I美ちゃんは中卒のお手伝いさんだし、接点がないよね」

そんなふうに言ったあと、口もとをゆるめてワクワクした顔で続けます。

「きっとI美ちゃんが美人だったから、日凪子ちゃんのお父さんは一目惚れしたんだと思うよ。I美ちゃんがこっちにいたころ、わたしよくCちゃんのお姉さん美人だねって言われたもの」

一目惚れかぁ……。
でも、どこで?
やっぱり肝心な部分が謎です。

さらに当時ふたりが暮らしていたのが、父の下宿だったというのがまた謎なのです。
この件に関しては、以前に母自身が、
「男の人ばっかりの下宿だったからお母さんはトイレに行くのも大変で、いつトイレに行けばいいんだろうって、ずっとトイレのことばかり考えてたわ」
と文句を言っていました。

つまり住み込みメイドだった母は仕事を辞めて、大学生だった父の下宿先(トイレ共同? 男子専用?)に転がり込んで同棲がスタートしたということなのでしょうか?

一体なにがどうなって、そんなことになったのでしょう?

父と母にじっくり聞いてみたいのですが、今さらというか、気恥ずかしいというか……やっぱりなかなか聞けずにいるのでした。