おうちさんとわたし。

無職おひとりさま50代女性の家づくりと日常

「資産が半分になっちゃったよ〜♪」な父と個人年金

こんにちは、日凪子です。

私が加入している個人年金は、もともとは父が地元で契約したものでした。
はじめは父の名義で、父が払っていたのですが、そのままだと相続税の対象になってしまうらしく、あるとき私の名義に書き換えると言ってきました。それからは父が私の口座に保険料分を定期的に入金してくれていました。

支払いは私が65歳になるまで続きます。
父が元気なうちは払ってくれるだろうと、当然のように思っていたのです。

私が40半ばを過ぎたころ。
実家に帰省していた私に、父が明るく告げました。

「いやぁ、まいった。株の運用に失敗して、資産が半分になっちゃったよ〜」

突然そんなことを知らされて、びっくりです。
とはいえ、いつかはやらかすと、ずっと心配していました。
自称ギャンブラーで株が大好きな投資オタクの父は、私が子供のころから「株が下がっちゃったよ〜」と「すごいもうけちゃったよ〜」を繰り返していたからです。
現役のうちは取り返しがきいたかもしれませんが、このとき父はすでに80近い年齢です。

「もう株は引退しようと思う。年金をもらっているし浦和の家賃もあるから、生活は今までどおりだ」

父の声も表情もいつもどおり明るく、心配そうな私にこう続けます。

「ずっと株をやってきたおかげで、会社を退職したあと、やりたいことが全部できた。まだ若くて体力があるときに船で世界一周もできたし、世界のあちこちを旅して、アメリカと韓国に語学留学もしたし、日凪子と⚪︎⚪︎(弟)にも家を買ってあげられた。この10数年間は全部神さまからの贈り物だったとお父さんは思うんだ。これからはのんびり国内旅行を楽しむことにするよ」

なんだかしんみりしてしまいました。

語る父はどこまでも朗らかで、80近くになって資産が激減してしまった悲壮感は少しもありません。
昔からそうでした。
どれだけ株が下がっても、
「まいったなぁ、また下がっちゃったよ〜」
と笑っていました。
不安そうだったり、苦しそうだったり、イライラしたり、疲れたりしている父を、子供のころから一度も見たことがありません。
母が心配性でめそめそしがちな分、揺るがず明るい父に、いつも安心をもらっていました。

「そうだね、お父さんが株をやっていたおかげで私も好きなことができたし、マンションも買ってもらえたんだね」

私も笑顔で言いました。
そんな私に、父がニコニコと衝撃発言をするのです。

「うん。だから、日凪子の個人年金は、これからは日凪子が自分で払ってくれるかな」

へ?

顔がこわばりました。

「えっと……全部? 3つも入っていて、年間90万くらいあるけど」

「お父さんは、もうお金がないから」

ニコニコしながら父が言います。
私のほうは、ニコニコどころではありません。
年間90万! それを65歳までずっと?
あと20年もっ!?

私無職なのに〜〜〜〜!

こうして50歳を超えた今も、年間90万超えの個人年金保険を払い続けているのです。

お父さん……3つも入らなくてもよかったんじゃないかな……。

そんな父は85歳を超えた今も元気です。