おうちさんとわたし。

無職おひとりさま50代女性の家づくりと日常

内見番外編〜入居1カ月で売りに出されたお部屋

日凪子です。
今回は内見が叶わなかったお部屋さんの話です。

場所は私の第一希望の駅。
なんと徒歩1分。
駅入り口から歩道を挟んで真正面です。
1分どころか30秒くらいかも。

築10年
2LDK、8階
リフォームしたばかりで室内のお写真もとても綺麗でした。
お値段5600万

いいじゃないですか!
内見前からテンション爆上がりです。

もともとこの駅に固執していたのは、大学時代の古いマンションでの暮らしがとても快適で充実していたからです。
精神的にも物質的にも豊かで、未来を信じていて、そのための努力が楽しくて嬉しくて幸せでたまらなかった私の人生のゴールデンタイムです。
この場所では音やお子さんの声に悩まされることもなく、仕事の辛さも健康や金銭への不安もまだ味わっていませんでした。
そんな良い思い出ばかりの駅徒歩1分の古いマンションは、駅の裏側にありました。

ずっと戻りたいと思っていた駅の、あのころと同じ徒歩1分の物件だなんてテンションが上がらないはずがないでしょう。
まるで運命のような気持ちさえしていました。

このとき内見を申し込んだのは、イケメン売り主さんの物件を担当していた不動産屋さんです。
物件を探すとき、不動産屋さんは1人のかたにお願いするか、物件ごとに違うかたにお願いするほうが良いかは人によると思います。
私は基本的に物件ごとにお願いしていました。

そのほうが内見の予約がスムーズだったからです。

担当さんが増えると、個別におすすめメールがばんばん来るという煩わしさはありますが、私の要望が細かかったせいか、無職のおひとりさまで買う気がないと思われていたのか、大抵は1、2回のメールで終了でした。

こちらの物件はイケメンさんの物件を内見した直後に売りに出たこともあって、そのときお付き合いのあった担当さんにたまたまお願いしたのでした。

結論から言うと、やっぱり物件の担当さんに直接お願いしたほうが良かったように思います。
というのは、内見日がなかなか決まらず、ようやく決まったと思ったら前日に予定が延期になり、次の日程もあやふやなまま売れてしまったからです。

囲い込みとかそういった事情があったのでしょうか?
最初から、なにかが変でした。
うちの担当さんの歯切れが悪いというか曖昧と言うか、突然深刻そうな声で、
「売り主さんは犬を飼っているそうですが、大丈夫ですか」
と訊かれ、
「はい、問題ありません」
とお返事したら今度は、
「実はこのお部屋はリフォームのあと入居から1ヶ月後に売りに出されているんです」
と告げられて驚いたり。
理由が判明したのは数日後で、売り主さんの離婚でした。

またドタキャンの連絡と一緒に、
「実はこのマンションの隣に別のマンションが建築予定で、日当たりに問題が生じる可能性があります」
と告げられたり。

「え? でも隣って道路を挟んでますよね。あのくらい距離があればじゅうぶんじゃありませんか?」

担当さんと現地へ実際見に行きましたが、私にはそれほど問題には思えませんでした。
そもそも正面は駅の入り口を向いているので、横からの日当たりが多少悪くなっても大したことはないのでは。
けれど担当さんも、何故か一緒に来られた上司のかたも、ふたりそろって深刻なお顔で、
「実際に建物が完成して日当たりが悪かった場合、取り返しがつきません」
などとおっしゃるのです。

さらには、
「このマンションは、先行で売り出した部屋に比べて売り出し価格が下がっています。おすすめできません」
と言いはじめて、びっくりです。
再開発中の区域で駅徒歩1分の物件ですよ。
素人の私から見ても値崩れしにくいお買い得物件に思えます。
それが値下げ中なら逆にラッキーではありませんか。

なんだか私に内見してほしくなさそうに感じました。
おふたりの中では、この件はこれで終わりだったようで、その後内見の日取りが告げられることがないまま、こちらの物件は、あっという間に検索から消えてゆきました。
きっと売れてしまったのでしょう。

実を言うと2点ほど気になる部分がありました。
ひとつは駅の真正面は、窓を開けたら騒々しいのではないかということ。
もうひとつは微妙に西向きなのではないかということです。



駅前といっても、ここまで混み合ってはいませんが、学生さんの登下校時はざわざわしていそうですし、夜は酔っ払いの声も聞こえたりするかも。
そのへんを内見時に売り主さんにうかがいたかったのですが、叶わないままご縁がなくなってしまったのでした。

もし先方の不動産屋さんに直接内見を申し込んでいたら、少なくとも見せてはもらえたような気がしてなりません。
多分駅から近すぎてこちらは私には無理だったように思うのですが、やっぱり一度くらいは見てみたかったと、今でもちょっとだけ心残りなのでした。